富山でマインドフルネス!

マインドフルネス実践中!日々の記録です

何で自分の「幸せ」が決まるのか

知人(Aさん)から聞いた話です。

大きな家に高齢の方(Yさん)が一人で住んでいらっしゃいます。

Aさんは、Yさんを心配し、時々様子を見に行っているそうです。

 

Aさんの息子さんが、家族で住めそうな広い空き家を探していた時期がありました。

Aさんは、Yさんが昔からその土地に住んでいたことを思い出し、『このあたりの土地のことも色々とご存じだろう』と信頼し、ある日Yさんに「このあたりに良さそうな空き家はありませんか?」と尋ねました。

Yさんは「いや、知らないね」と答えながら、微妙な表情をしていたそうです。

 

後日、Yさんが、別の知人(Bさん=Aさんの知人でもある)に、「Aさんが私の家を狙っているようだが、誰にも渡す気はない」と話していたそうです。

Bさんからこの話を聞いて、Aさんはとてもショックを受けました。

それでもAさんは、一人暮らしのYさんが心配で、その後も様子を見に行きました。

でも、『「家を狙ってる」などと思わせないようにしないと』と気を遣い、あまり深い話はせず、様子を見たらすぐ帰るようになりました。

 

それから何日か経ちました。

ある日、Yさんがひどく立腹していたのでAさんが尋ねると、「Bさんから施設への入居を勧められた。私をこの家から追い出そうとしている。Bさんに会って確かめて欲しい」と言われました。

Aさんは、Bさんが善意で勧めたのが分かっていたので、とても困ったそうです。

 

その後Yさんは、AさんBさんと距離を置くようになったそうです。

 

この話を聞いた私の推測ですが・・・

Yさんにとって、家が絶対的な宝であり、「絶対に家を他人に渡してなるものか」という本音があるのでしょう。

しかし、この本音に基づき、思考・感情を起こし、その赴くままに言動をしてしまい、その結果、人間関係を自ら壊してしまいました。

 

Aさんはただこの女性を信頼し、Bさんはただ心配していただけでした。

この信頼や心配からの声掛けを、「自分を脅かすもの」と受け取るか、「自分への心配り」と受け取るか。

人が、その置かれた状況を「幸せ」と感じるか「不幸」と感じるかは、その状況がどうかではなく、受け取り方次第なのだと思います。

 Yさんは「皆が自分から何かを奪おうと近寄って来る。なんて私は不幸なんだ」と思っているかもしれません。

傍から見ると、周りの人が自分を気にかけてくれて、とてもありがたい状況だと思うのですが…。

 

いつか自身の本音に気付くことが出来たら、物事の受け止め方を変え、言動を変え、結果として起こる人間関係が変わり、幸福感をも変えることが出来るのではないかと思います。

嫌いな人も幸せでありますように

高速バスに乗りました。4時間弱の旅です。

快適に過ごそうと、後方の席を予約しました。

いつも前方の席から埋まっていくようなので、

後ろの方が、人目を気にせずリラックスできると思ったからです。

 

私の期待が外れ、斜め前の席に体が大きい50代くらいの男性が座りました。

その方は席に座るなり、無言でシートを最大限に倒し、

落ち着きなく周りをキョロキョロ見渡しながら、

スマホをいじったり、寝てみたり、すぐ起きてまたキョロキョロしたり、

スマホを手すりに立てかけてみたり、スマホを落っことして拾ったり・・・

とにかく落ち着きなく動いていました。

特に、キョロキョロするのが凄く嫌でした。

 

『落ち着かないよ~』『こっち見ないでよ~』『もう~、じっとしててよ!』

と心の中で嫌悪の思考が回り始めました。

はい、来ました。マインドフルネス実践のチャンス。

この時偶然にも、読んでいた本に「慈悲の瞑想」が書かれていました。

 

※慈悲の瞑想

 私→親しい人→生きとし生けるもの→私が嫌いな人→私を嫌っている人

 の順で、幸せを願う言葉を唱える瞑想法。

 

ひっそりと唱えてみました。

状況は何も変わらないのですが、嘘のように嫌悪感は静まりました。

私も一仕事終えて疲れていたのですが、「この人もお疲れなんだね」

と思えて、同士のような気持ちまで湧いてきました。

 

マインドフルネスを知る前の自分だったら、

倒されたシートを睨みながら、ずっと不快な気持ちを抱えたまま、

4時間弱の旅を続けていたでしょう。

 

人に対して嫌悪感を持った時、多くの場合は気が付かずに、

モヤモヤした気持ちを抱えたまま、更に嫌悪感を増幅させたりもします。

 

まずは、嫌悪感に気付くこと、そしてそれを包み込む視点が大事だと思います。

「嫌いな人も幸せでありますように」と唱えてみると、

「嫌いな人」だけでなく「嫌いな人を見ている自分」も心のスクリーンに映ります。

一連の出来事を、さらに外側から見守っている『もっと大きな自分』に

瞬間的に近づけるのかもしれません。

 

心を落ち着かせる呪文ですね。

普段から唱えて、自分に刷り込んでおこう。

 

 

 

健全な「他責志向」も必要

小型犬に威嚇されて、叫びながら走って逃げてしまった・・・

 

近所のスーパーへ歩いて行くことにしました。近道になるので、公園を横切ることにしました。公園では、年配女性が小型犬を散歩させていました。公園の入り口に差し掛かったところで、小型犬が激しく吠えて威嚇しながら、ものすごい勢いで走ってきました。リードがとても長く(5mくらいあったかも)、私の足元まで近づいてきました。思わず「イヤ~!もう!ちょっとっ!やだっ!」と叫び、走って逃げました。

 

とても怖かったのです。犬が嫌いな訳ではありません。見ている分には「かわいい」と思うし、犬と飼い主との心温まる話も大好きです。でも、ものすごい勢いで近寄られるのだけは苦手なのです。

 

普段「何があっても騒がず落ち着こう」と心掛けているのですが、とっさに身の危険(小型犬なので危険じゃなですね…)を感じたので、制御できませんでした。

 

結局、公園を横切らない道へ行ったのですが、その道中、いつもの「自責の思考」が出てきました。それは、『「イヤだ」と大声で言ってしまった。犬に言ったつもりだったけど、あの年配女性は怒ってないだろうか。犬くらいでワーワー騒ぐ面倒な人だと思われていないだろうか』というもの。その日以降、『その年配女性に会ったら嫌だな』と思い、公園に行くのが億劫になってしまいました。

 

道具としての「ハラスメント」という言葉

 

ある日、インターネットで「ペットハラスメント」という言葉を知りました。飼い主がペット好きでない人に対して行うハラスメントを指すそうで、長すぎるリードで、周囲の人に恐怖心を与えることも該当するそうです。その言葉を知った時、『そこまで自責の思考にとらわれる必要はなかったな』と思い、心が軽くなりました。その後、公園にも行けるようになりました。

 

リードが長い犬を散歩している人がいたら、近づかなければいい。あの時の年配女性がいたら、普通に挨拶すればいいだけのこと。もし、リードが長い犬に威嚇されたら、また走って逃げちゃうかも。でも、それはもうしょうがないよね。だって怖いんだもん。

 

何にでも「ハラスメント」という名前を付けて、他を攻撃するのはいかがなものかと思います。でも、自責が過ぎて自分に制限をかけてしまう傾向がある人には、「健全な範囲での他責思考」も必要だと思います。今回の場合も、「ペットハラスメントだ!」と騒いで「犬のリードが長い問題」を社会に提言しようというわけではありません。ただ、出来事に名前を付け、それを客観視し、「そこまで自分を責める必要はないな」と気づくための道具として、「ハラスメント」という言葉は便利だな、と個人的には思いました。

関係が壊れてしまったある先輩のことを思い出す

学生時代から20代前半頃は、イライラしやすい性格でした。はっきりものを言わない人にイライラ。はっきりものを言いすぎる人にもイライラ。無茶苦茶です。他には、日常生活をエンジョイしてキラキラしている人にイライラ。その頃は、人やモノに八つ当たりすることはなく、内にため込み続けていました。

20代後半頃になると、ちょっとしたことにまでイライラするようになっていました。職場でミスを指摘されただけでイライラ、遊びに誘われなくてイライラ、お店の店員さんの態度にイライラ…。どこに行ってもイライラするので、仕事以外ではなるべく他人と関わることなく、できるだけ外に出ないようにして過ごしていました。どんどん自分に自信がなくなり、気分が沈む日々が続いていました。

職場に、新人の頃からとてもお世話になっていた先輩がいました。気分が悪かったある日、その先輩に業務の改善提案を見せたところ、先輩に不備を指摘されて、私は不機嫌になってしまいました。また別の日、その先輩に「土日何してたの?」と聞かれ、瞬時に「どうせ外出してませんよ!」と返事をしてしまいました。そんなことが続くうちに、先輩とは話さなくなってしまいました。それから一層、他人と接することを避けるようになってしまいました。

この状態を脱するきっかけをくれた別の先輩がいました。ある資格の取得を勧めてくださり、スクールに通って勉強しました。自分に自信を持てたのでしょう。そこから自分の興味あることを探し、学び、仕事や生活に活かしていくことが出来るようになりました。人間関係も素直に築くことが出来るようになりました。ただ、関係が壊れてしまった先輩との仲は修復できないままになってしまいました。

「もしも」の話をしてもしょうがないのですが、もしあの頃、マインドフルネスを知り実践できていたら、その人間関係を壊さずにいられたのではないかなと思います。

イライラや怒りの背景には、自分の未熟な部分や課題が潜んでいると、今の自分ならそう捉えます。店員さんの接客態度にイライラするのは、自分を大切に扱って欲しいから。指摘する上司にイライラするのは、自分が正しいと思っているから。仲間に誘われなくてイライラするのは、自分をないがしろにされたくないから。自信がなく、自分で自分を認められないから、人に認めてもらいたかったのでしょう。

そして、先輩にイライラしたのは、相談にも乗ってくれて自分に色々と良くしてくれた、その人に自分のことを理解して欲しかったから。でも、言葉で伝えることもしないで「空気感で察して欲しい」というのは甘えた考え方だと思います。

今でもその先輩に対する感謝の持ちを大切にしています。どこでどのように過ごしていらっしゃるのか、今はもう分からないですが、どうかお元気で、お幸せに過ごして欲しいと心から願っています。

呼吸法ってすごい!

嫌な出来事がありまして、ここ数年で一番かと思うほどの怒りが湧きました。

以前の私は、モノにあたったり、紙に書きなぐったり、やけ食いしたり、で発散していました。(発散どころか過熱していたような気が・・・。)

今回は「いろんな方法を試すチャンス!」と思い、まずはフーッと深呼吸。頭の中で「忘れよう、落ち着こう」と唱えてみました。ところが、怒りはなかなかおさまらない。頭では冷静に考えているのに、体は勝手に震えてしまいます。

「怒りで震えるって本当にあったんだぁ」と驚きつつ、「別のことをして気を紛らわそう」と夕飯の支度に取り掛かりました。ところが、手に力が入りません。生卵を落としてしまったり、砂糖の容器を落として床にぶちまけてしまったり・・・。

次に、チラシの裏面に思いを書きなぐってみました。これはいけなかった。ついついエスカレートして乱暴な言葉を書いてしまうと、弱まりかけた怒りが、徐々に膨らんでしまいました。

そこへタイミングよく実家の父から電話が掛かってきたので、話してみました。父は「そうかそうか、大変だったねえ」と共感の反応。電話を切った後、確かに話してスッキリはしましたが、まだモヤモヤが残っています。

最後の手段は呼吸法!鏡をイメージした呼吸法を10分間行いました。呼吸法を始めて3分くらいで、波のない水面のように心が落ち着いてゆくのを感じました。呼吸法終了後、「もう大丈夫」と確信。

以前は「呼吸法なんて吸って吐くだけ。だから何なの?」と思っていました。SIMTに10か月間地道に取り組んでみた今は、呼吸法をとても信頼しています。体が震えるほどの強い感情を数分で落ち着かせる、そんな自分の力を引き出してくれました。

それにしても、怒りが湧いてすぐに「チャンス」と思えるなんて。これもSIMTの効果かな、と思います。

言葉が不快な感情を増幅させている?

日記を書いて心理現象の観察を続けるうちに気が付きました。

出来事があり、それに対して思考をするうちに、不快な感情が生まれる。

『出来事→思考→感情』の流れの、どこかの段階で意識的にコントロールできれば良いのですが、訓練の浅いうちは感情までの流れが自動的に起きてしまいます。

大抵は感情が生じた段階で『私はイライラしている』と気付きます。その気付いた後の行動が大事。

感情に任せて「腹立つわ~」「ムカつくわ~」と言ってしまうと、不思議なことにその感情はムクムクと膨らんで、当初感じた感情以上の大きさになってしまうのです。大して怒ってもなかったのに、怒りが増大して、さらにきつい言葉を言ってしまったり。

反対に、ちょっと抑え気味につぶやいてみる。例えば「まあいいか」「しょうがないよね」。すると、『大したことでもないな』と思えてくる。

このことに気付いたある日、意識的に実践してみました。その日の日記をご紹介します。

 

 ◯月◯日

ある施設に行った。利用カードを忘れたので、職員に申し出たところ、「カード忘れが続くなら手数料を支払ってもらいますから」と言われた。毎回忘れているわけではないのに。今回たまたま、なのに(きっかけ)。この瞬間、数日前のことを思い出した。それは、先週、借りた備品を使用する前に、一部が破損していたことに気付き、それを職員に申し出たところ、「あんまりひどい場合は弁償してもらいますから」と言われたこと。私が壊したわけではないのに(想起)。『この頃、職員の対応が横柄だ』と思い(思考)、イライラした(1次感情)。

イライラしたが、周りの目を気にして、敢えて謙虚に「カードを忘れてすみません」と返事をした。その時の職員は『謝って当然』と言わんばかりに平然としていた。『なぜエラそうな言動だと気付かないのか?』と思うと(思考)、一層イライラした(2次感情)。

家に帰り、事の顛末を夫に話すと、「対応悪いね」と言った。その言葉に乗っかって、「そうそう、本当に腹が立つわ」と言いたかった。言えばスッキリすると思った(衝動的欲求)。でも、もし言ってしまえば、落ち着きかけたイライラが再び湧き上がってくるだろうと思った。自分は、いつもこのパターンでイライラを蒸し返し、長く引きずることが多い(結果推測)。

『ここは感情的な発言を控えよう』と考え(思考)、「ルールを守ってもらうために、厳しい対応をする方針にしたのかな」と返事をした(価値実現の行動)。イライラは湧き上がらず、落ち着いた気分だった(気分)。

 

家に帰り、気持ちが落ち着いたのに、蒸し返して3次感情を起こしてしまうと、貴重な「今」を無駄に使ってしまう。嫌な感情は、チラッと思い出しても、すぐ捨てる。これでいこう。自分の発する言葉によって感情が増幅されたり、落ち着いたりするのなら、出来るだけ自分の望む方向に進めるような言葉を発していこう。

人生の価値・願いを確認する

SIMTの第4セッションのテーマは「人生の価値・願い」でした。このテーマに取り組んだ時のことを思い出しながら、書いています。

SIMTの課題に取り組む以前は、人として生きている以上、「歴史に名を残す偉業を成し遂げること」「人がうらやむほどのお金持ちになること」は、誰もが目指している目標だと思っていました。とにかく昇りつめること。当然自分も上を目指すべきと思い、でも自分はそんな器じゃないとも思っていて、葛藤していました。「あきらめの人生だ」とまで思っていました。そして、ニュースをにぎわす人たちを羨ましく思っていました。

第4セッションでは「朝一番の呼吸法」という課題があり、目覚めてすぐに呼吸法を行いながら、自分の価値・願いを確認します。寝ぼけ眼で願いを唱えてみようとすると、思い浮かんでくるのは・・・「羨望の眼差しを浴びる自分」でもなく、「お金がありすぎてこれ以上買いたい物なんてないよ~」と言っている自分でもない。鮮やかに思い浮かんでくるのは、朝の日差しの中で庭の草むしりをしながら家族を見送る自分、仕事先で「ありがとうございました、またお願いします!」と言われて「いえいえ~」と照れる自分。・・・なんだか地味なシーンばかり。でも、思い浮かんだシーンと、人がうらやむ地位・名誉・あり余るお金。どちらを望むか、心の底に問いかけると、はっきりします。朝の呼吸法はとてもいいです。素の自分を感じることが出来ます。

この時の気付きは、私にとって大きかったです。それ以来、とにかく日々が心地いい。

日常生活を送る中で、心に疲労を感じた時、「自分が目指していることは、自分の真の願いなのか?」と改めて自身に問いかけてみることは、とても大事なことだと考えます。日々忙しいかも知れませんが、少しの期間、しっかり時間を取って考えてみると良いです。

最近新たな願いが生まれました。SIMTの良さを発信して、どんどん広げていけたらな~と思っています。そのために出来ることを考えて、行動していきたいです。